おはぎ日和

うさぎを愛でつつ、ずぼライフを極めたい。

このブログをつくるにあたり

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今日もまんまるで可愛いです。おはぎさん。

このブログをつくるにあたり、というか、何故、私が暇さえあればおはぎの写真を撮るのか、SNSに投稿するのか、真面目に考えてみることにした。

私がおはぎの写真を撮りまくるのは、うだまさんという方の一言が大きい。
「思い出をたくさん残した方がいい。亡くなった後の事を考えて」と仰っていた。
うだまさんは、初代ハル君をお迎えしてたった数ヶ月で病気で亡くしてる。ハル君との写真は、少ししかなかったそうで、亡くなる直前の写真しかなくて、元気いっぱいだった頃の可愛い盛りの時の写真がなかった、と。

小学校一年生の時、はじめて動物をお迎えした。その時も、うさぎだった。
うさぎの可愛さに虜になった私と母は、その後も姉の友人からさらに二羽譲ってもらった。
そして、子を産み、さらに二羽増えた(笑)
計五羽。賑やかだった。みんな、可愛かった。
小学校三年生の時、当時一番可愛がってたうさぎが死んだ。
小学生当時なんて、今みたいに携帯電話なんて無かったし、カメラもない。そもそも日頃から写真を撮る、という概念すら無かった。写真は何かのイベントの時だけ。
だから、そのうさぎの写真は、たった一枚しか無かった。
携帯電話を持つようになったのも、高校生からと少し遅かったから、他のうさぎ達の写真をそれ程残す事が出来なかった。
うさぎ達の写真は、あるにはある。ただ、うさぎ達と共に過ごした思い出と比べると、圧倒的に少ない。

人にも、同じ事が言えると思う。
夏休みと年末にしか会えなかった祖父母と、もっともっと写真を撮って、二人と一緒にいた時間をカタチに残しておけば良かった。

健康だった頃の母と、もっと写真を撮っておけば良かった。
家族みんなと、もっともっと写真を残しておけば良かった。

後悔ばかり募る。

今はどうだろう。
携帯電話もあって、写真を撮るという事も当たり前になっている。
生意気にも、ミラーレスカメラなんてものも買った。
使い方がいまいちわからないが、写真は特別な事ではなくなった。

おはぎさんが来て、馬鹿みたいに写真を撮り続けてる。呆れられてる。でも、私は幸せだ。
今は、今しかない。
いつかおはぎさんが逝ってしまった時、たくさん残った写真を見て、あの時はあそこにう◯こされたなーとか、噛まれたなーとか、記憶の中に残ったおはぎに、写真を通して会える。

f:id:ohagiponyo:20150516111424j:image座椅子はさすがに持ち上げられないと思うよ、おはぎさん。


記憶なんて曖昧だし、どんどん忘れてしまう。
けれども、写真を見て、鮮明に思い出せる事もある。だから撮る。

そして、撮った写真をSNSに投稿するのは、



ただの自己満


以上!!(笑)